1998フランスW杯観戦&チュニジアの旅

飲んだくれ夫婦の初めてのW杯観戦旅行記 パート1

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’98ワールドカップフランス大会に日本は、予選の加茂ジャパンから岡田ジャパンに監督交代がありながらも、浦和レッズの岡野の劇的Vゴールでアジア最後の出場権を掴み、初出場となった。

ワールドカップバブルで、売り出されたツアーは非常識な数に上り、大会直前には肝心な試合のチケットがまったく足りないという社会的事件となり、ニュースでも連日放送されていた。キャンセルとなったツアーも多かった。

当然、我々のツアーもチケットは確保されておらず、試合が見られる保証の無いままの旅立ちとなった。

この旅行記は帰国後友人に宛てたメールを掘り起こし、当時デジタルではない写真をスキャンし作成したものである。


1998年6月17日(水)の千歳発KLMオランダ航空にて2人の旅行は始まったのでした。この飛行機は名古屋発の千歳経由アムステルダム行きなのでけっこう満席状態!!毎週水・日曜日に運行されてます(※平成20年現在は運行されていません)。

でも一度成田とか関空に行かなくてよいというのはこんなに楽だったのねって感じです。だってヨーロッパへ行くとなるとどうしたって前泊が必要。それに空港までは車だから荷物も多少重くたって平気。チェックインも出国審査も千歳空港だからあっというま。この時間の国際線はこれしかないから。ということで、飛行機に乗り込みスキポールへ。KLMの機内食はまあまでした。アイスとかカップヌードルとかおやつに出ました。映画は007の最新版とマウスハントをしっかり鑑賞。
さて、飛行機は無事にオランダに到着。しかし、スキポール空港の大きさにはまいりました。さすが、ヨーロッパのハブ空港だけはあります。途中トランジットの時にゲートへ向かう時に入国審査みたいなのがあり、お兄さんにツーリストは日本語でなんていうんだ、なんて怖い顔できかれました。おいおい仕事中だろって思いましたが、親切にも教えてあげました。おかげさまで、パスポートになんかわからんけどスタンプがふえました。

 ブリュッセル空港についたのは夜の8時過ぎだったんだけど、この時期のヨーロッパはまだまだ明るくてびっくり!両替も無事にすみ、心配だった電車の切符も何とか買えて電車に乗り込みます。ブリュッセル北駅からホテルまで徒歩10分ということだったので、地図を片手に歩きましたが、これは失敗だったかも。地図だと坂とか全然わからないのですが、ホテルまでずっと登り坂。それもでこぼこの石畳。29kgのスーツケースをガラガラ押しながら大変でした。

 近道をしようとして、裏道に入ってしまったら、そこがまた、あやしい感じのところ・・・アラブ系住民の街ってところで、囲まれたらどうしようとかなり恐怖心を感じました。ホテルは一応4つ星でしたが、チェックインに時間がかかって(クーポンが2枚に分かれていたため説明が大変でした)やっと部屋に入れたと思ったら、今度は冷蔵庫が開きません。1号は怒りのあまり、ルームサービスでビールを頼んでました。それも、海外で初めて!!英語で!!今回の旅行で1号はかなりカブを上げました。

 ということで、初日を無事にブリュッセルのホテルで終えることができました。

 その2に続く・・・